応援コメント

俳優であり監督も共同で務める佐藤秋と山口遥が演じる漫画家カップルが、二人で表現する意味を模索し、働き方と生き方に葛藤し、自分たちをモデルに男女の作品を描く。『脳内ニューヨーク』のような入れ子構造がじわじわ来る。
充足して生きる人には響かないかもしれないが、満たされぬ思いと向き合う人からはひそやかに愛される映画だ。
荒涼たる雪原と並木のパースペクティブの先にある明日を、二人とともに見にいきたい。
高森郁哉(ライター・英日翻訳者)

スクリーンの向こう側には自分がいた。
夢を追う者なら、叶えられず足掻き続けている者なら、手放したくとも手放せずにいる者なら、その心を二人の姿に重ねられるはず。
夢を手放してしまった人の心にだって、別の夢に乗り換えた人の心にだって、苦労の末に夢を叶えた人の心にだって、響くモノがあると思う。
これまで誰にも打ち明けたことのない葛藤が、今まで隠してきたはずの想いが、『足りない二人』には全て詰まっていた。

諦める理由を見つけるのは容易いが、続けていく理由を見つけるのは難しい。
厳しい雪に包まれた二人の生活圏は、まるで隔離された牢獄のよう。
思い描いた夢の大きさに比例した年数をそこで服役しなければ、現状からは抜け出せない。
夢を追うことは決して罪ではないけれど、夢を叶えるということはそれ程までに険しい道程。
脱獄することもできるけど、その道も示されていたけれど、夢追う二人は牢獄へと帰っていく。

この作品を観たところで、今抱えている苦悩からはきっと抜け出せない。
けれど、否が応でも現実を直視せざるを得なくなる。
身動きが取れずにいた自分に喝を入れ、一歩踏み出すためのキッカケを与えてくれると思います。
夢を追う全ての人に観て欲しい。
ミヤザキタケル(映画アドバイザー)

雪国。パートで働きながら、ひとかどの漫画作家を目指す、足りないだらけの若い二人。たまかな暮らし、閉塞感、あせり、挫折が丹念に描かれる。美しすぎる風景との落差があざやか。
多い食事のシーン。ことごとくが、現在を象徴し、未来を暗示する。何を表現すればいいのか。ともに時間を共有すればいいのか。二人は悩む。とにかく、切ない。映画の半ば、これは、いまの時代そのものではと気付く。では、希望はあるのかと。答えは観客に委ねられる。
静謐にして正攻法。かつての日本映画のよさを内包しつつ、最近の多くの日本映画への鋭い抵抗がある。撮影、練れた脚本、過不足のないセリフが秀逸。細部のこだわりも数多く、なにより、映画そのものに、品、風格がある。ことに、多くの若い人たちに見てほしいなあ。
二井康雄(映画ジャーナリスト・書き文字ライター・『暮しの手帖』元副編集長)

クリエイティブで食べていくということは難しい…。
日常の中に埋もれず流されず、見えない到達点に向かってまっすぐな姿勢で生きていく「楓子と小山内」の理想と現実は決して穏やかではありません。
夢の最中の人も、夢をあきらめた人も…。
それぞれに「足りない二人」を観ることで、失ったものやどうしても欲しいものが見えてくるのではないでしょうか?
そんな“二人”がたどり着いたひとつの作品。
現実と作品のストーリ―が交錯するとき、虚実皮膜のリアリティが美しい北海道の長回しの風景の中、胸を打ちます。
(小学館 美的.com  能 聡子)

漫画家を目指しているのに、東京からわざわざ出版社のない北海道の町に移住するという、考えてみれば不思議な設定である。
ただ、東京ではなく北海道を舞台にしたことが、二人の置かれている状況をよりくっきりと描くことにつながっている。
変化の少ない日常、日常を離れたときの居心地の悪さ、ここから抜け出すために何かをしなくてはいけないかのような焦り――やりたいことがあっても心が揺れることは誰しもある。
本作はそうした心情を細やかに拾いあげており、見る人は、どこかで自分と重なるものを見つけるのではないか。
撮影に当たっては、真冬の北海道で約1カ月のロケを敢行した。厳しくも美しい雪の映像も、この映画の魅力の一つである
伊勢剛(朝日新聞社 記者・ジャーナリスト)

こんにちは!旅行ライターの窪咲子です。
この度、縁あって映画『足りない二人』へ応援メッセージを送らせていただきました。
海外映画祭にも挑戦されるとうかがったのですが、近年、寿司やラーメンなどの日本食ブームやアニメブームもあって、日本に興味を持つ外国人の方が多く、海外を旅していると日本の文化や暮らしについてよく尋ねられます。
そんな外国人にも見せたくなるリアルな日本の暮らしや人間味がギュッと詰まった映画だと思うので、海外映画祭でも注目間違いなし!?
窪咲子(旅行ライター・編集者)

実際に付き合ってる男女の役者が演じる漫画家二人の生活は、まるで実験ドキュメンタリーのようで、売れたいと思う俳優の心とジレンマが生々しくも痛々しく語られていく。
だけど、いつの間にかこの二人が『浮雲』の高峰秀子と森雅之のように見え始めるのだから始末が悪い。くっついたり離れたり、平成末期の日本で腐れ縁を続けながら、人生を全うしようとする姿に寄り添ううちに、最後にはスクリーンを食い入るように見ている自分に気づいてしまった。
瀬々敬久(映画監督)

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