応援コメント

理想とはほど遠い生活を送りながらも、夢を諦められない。
雪に囲まれた北海道でストイックに生きている二人に、最初は「面倒くさい」と思いながら、
いつしか親近感を覚えてしまう。
恋人たちの会話は、ひとりのアーティストの脳内問答のようで、いつしか観ているこちら側の心を反復してくるのだ。
「どうして普通に生きられないのだろう?」
「どうして現実に満足できないのだろう?」
みんな本当は同じジレンマを抱えている。
自分のホンネや欲望と向き合うのって面倒くさい。
その面倒くささから目を逸らさずに生きるのってたいへん。
エネルギーもいる。そのエネルギーを惜しまないこの二人に感動すら覚えた。
頑張って、このまま生きて欲しいって心から思える。
10年後の二人にもまた出会いたい。
このまま映画も作り続けて欲しい。
立田敦子(映画ジャーナリスト)

「自分の人生、このままでいいのか・・・」 そんな想いを持つ方々に是非ご覧いただきたい映画だ。
欲深い人間ほど、悩みは大きい。
きっと、漫画家も、俳優も、お菓子研究家も、普通の日常では満足できない、欲深い人間なのだろう。
それでもいいと私は思う。
その分、日常では見えないものを見ることができるから。
普通なら「美味しい」の一言で終わる小さなお菓子に、人類の歴史や作り手の想いを感じることができるのだから。
猫井登(お菓子の歴史研究家)

早くも、今年の日本映画ベストワン候補!と申したくなるような意欲作の登場である。
寄る辺ない、しかも若さを失いつつある男女のグダグダしたやるせない話なのに、この映画には映画ならではの魅力が溢れんばかりに詰まっていて、観ている間、幸福感が波のように押し寄せて来てめまいを起こしそうになる稀有な映画体験を味わえた。
佐藤秋と山口遥――ふたりの俳優による共同作業にはまさに“映画愛”とでも申す、いささか陳腐な言葉でしか表現しえぬ熱い思いが内包されていて、それが僕のようなすれっからしの映画ファンの心をも激しく揺さぶるのである。
とくに、巧まざるユーモアの配合具合が絶妙で、それがありきたりの男女の深刻な愛憎劇に陥らず、飄々とした印象を与える要因になっていて、観賞後、おかげで何か元気に生きられそうな自分がいることを観客は発見するだろう。
時折挿入される北海道の雪景色が、実に鮮やかに“ふたりぼっち”の心象を写し出していることも新鮮な驚きで、清冽な風景の切りとり方ひとつにしても演出の誠実さを感じる。
この映画には不思議な匂いというか、得も言われぬ独特の色気があって、それが観る者をとらえて離さない。それは、もっとドラマ的起伏をつけたくなるだろう部分でも禁欲的にそれを抑えこむことで、逆に、実にスリリングな緊張感を生んでしまうという魔術のような映画術を用いていることなどから派生していることだと思う。
会話を中心とした既成の名作と言えば、リチャード・リンクレイター監督の『ビフォア』シリーズが最右翼だと思うが、あのシリーズが18年の歳月をかけて3部作となったように、世にも愛おしいダメ人間ふたり、“憎みきれないろくでなし”の小山内と楓子の行く末もこの先もずっと見ていたい思いがしきりだ。
とにかく日本映画界にまったく新しい素晴らしき才能が誕生したことを、心ある映画ファンが目撃しない理由はどこにもないと断言しておこう。
鈴村たけし(ライター・映画本編集・ヨコハマ映画祭元代表)

クリエイティブの仕事を志したことのある人なら誰しもが思い当たる心のざわめきが、随所に、繊細に描きこんでありました。
二人の足りなさを見つめる眼差しには生ぬるさが微塵もなく、彼らのことが自分の恥部と重なってくるような、痛々しさとナマナマしさを感じます。
でもそんな調子で映画が進んでいくのにかかわらず、不思議と画面から目を背けたくなるような気持ちにはなりません。
シリアスな状況に追い込まれても朴訥とした喋り方を続ける二人を見て、くすりと笑っている自分がいるのです。
なんなんだろう、このおもしろさは……
どうやら、足りないことだらけの二人のことを、僕はどんどんと好きになっていたようです。
そうしてふと、笑っていたのは自分自身のことだったと気づきました。
ラスト近くで小山内が楓子にこそっとつぶやく「コンビニでアイスだけ買ってもいい?」
こんなにもありふれた言葉が、たまらなく愛おしい。
映画のミラクルを感じずにいられませんでした。
谷口正晃(映画監督)

30歳を目前にする“29歳”は間違いなく人生の分岐点だった。
未来を見ないといけないと分かりつつ、未来を照らすには足りないものに目を向ける勇気も足りなくて。
そんな誰もがきっとぶつかる理想と現実の狭間で揺れる恋人たちが、同じ仕事をし、同じご飯を食べるなんて、それこそ理想的で驚異的。
対話劇は、痛々しくて阿吽の呼吸。
時の流れと同じように、感情にゆるやかに流されていく二人の希望と絶望、現実逃避は、間違いなく脚本や演技だけではない、この二人からにじみ出るもの。それがジワジワと面白い。
伊藤さとり(映画パーソナリティ)

俳優であり監督も共同で務める佐藤秋と山口遥が演じる漫画家カップルが、二人で表現する意味を模索し、働き方と生き方に葛藤し、自分たちをモデルに男女の作品を描く。『脳内ニューヨーク』のような入れ子構造がじわじわ来る。
充足して生きる人には響かないかもしれないが、満たされぬ思いと向き合う人からはひそやかに愛される映画だ。
荒涼たる雪原と並木のパースペクティブの先にある明日を、二人とともに見にいきたい。
高森郁哉(ライター・英日翻訳者)

スクリーンの向こう側には自分がいた。
夢を追う者なら、叶えられず足掻き続けている者なら、手放したくとも手放せずにいる者なら、その心を二人の姿に重ねられるはず。
夢を手放してしまった人の心にだって、別の夢に乗り換えた人の心にだって、苦労の末に夢を叶えた人の心にだって、響くモノがあると思う。
これまで誰にも打ち明けたことのない葛藤が、今まで隠してきたはずの想いが、『足りない二人』には全て詰まっていた。

諦める理由を見つけるのは容易いが、続けていく理由を見つけるのは難しい。
厳しい雪に包まれた二人の生活圏は、まるで隔離された牢獄のよう。
思い描いた夢の大きさに比例した年数をそこで服役しなければ、現状からは抜け出せない。
夢を追うことは決して罪ではないけれど、夢を叶えるということはそれ程までに険しい道程。
脱獄することもできるけど、その道も示されていたけれど、夢追う二人は牢獄へと帰っていく。

この作品を観たところで、今抱えている苦悩からはきっと抜け出せない。
けれど、否が応でも現実を直視せざるを得なくなる。
身動きが取れずにいた自分に喝を入れ、一歩踏み出すためのキッカケを与えてくれると思います。
夢を追う全ての人に観て欲しい。
ミヤザキタケル(映画アドバイザー)

雪国。パートで働きながら、ひとかどの漫画作家を目指す、足りないだらけの若い二人。たまかな暮らし、閉塞感、あせり、挫折が丹念に描かれる。美しすぎる風景との落差があざやか。
多い食事のシーン。ことごとくが、現在を象徴し、未来を暗示する。何を表現すればいいのか。ともに時間を共有すればいいのか。二人は悩む。とにかく、切ない。映画の半ば、これは、いまの時代そのものではと気付く。では、希望はあるのかと。答えは観客に委ねられる。
静謐にして正攻法。かつての日本映画のよさを内包しつつ、最近の多くの日本映画への鋭い抵抗がある。撮影、練れた脚本、過不足のないセリフが秀逸。細部のこだわりも数多く、なにより、映画そのものに、品、風格がある。ことに、多くの若い人たちに見てほしいなあ。
二井康雄(映画ジャーナリスト・書き文字ライター・『暮しの手帖』元副編集長)

クリエイティブで食べていくということは難しい…。
日常の中に埋もれず流されず、見えない到達点に向かってまっすぐな姿勢で生きていく「楓子と小山内」の理想と現実は決して穏やかではありません。
夢の最中の人も、夢をあきらめた人も…。
それぞれに「足りない二人」を観ることで、失ったものやどうしても欲しいものが見えてくるのではないでしょうか?
そんな“二人”がたどり着いたひとつの作品。
現実と作品のストーリ―が交錯するとき、虚実皮膜のリアリティが美しい北海道の長回しの風景の中、胸を打ちます。
(小学館 美的.com  能 聡子)

漫画家を目指しているのに、東京からわざわざ出版社のない北海道の町に移住するという、考えてみれば不思議な設定である。
ただ、東京ではなく北海道を舞台にしたことが、二人の置かれている状況をよりくっきりと描くことにつながっている。
変化の少ない日常、日常を離れたときの居心地の悪さ、ここから抜け出すために何かをしなくてはいけないかのような焦り――やりたいことがあっても心が揺れることは誰しもある。
本作はそうした心情を細やかに拾いあげており、見る人は、どこかで自分と重なるものを見つけるのではないか。
撮影に当たっては、真冬の北海道で約1カ月のロケを敢行した。厳しくも美しい雪の映像も、この映画の魅力の一つである
伊勢剛(朝日新聞社 記者・ジャーナリスト)

こんにちは!旅行ライターの窪咲子です。
この度、縁あって映画『足りない二人』へ応援メッセージを送らせていただきました。
海外映画祭にも挑戦されるとうかがったのですが、近年、寿司やラーメンなどの日本食ブームやアニメブームもあって、日本に興味を持つ外国人の方が多く、海外を旅していると日本の文化や暮らしについてよく尋ねられます。
そんな外国人にも見せたくなるリアルな日本の暮らしや人間味がギュッと詰まった映画だと思うので、海外映画祭でも注目間違いなし!?
窪咲子(旅行ライター・編集者)

実際に付き合ってる男女の役者が演じる漫画家二人の生活は、まるで実験ドキュメンタリーのようで、売れたいと思う俳優の心とジレンマが生々しくも痛々しく語られていく。
だけど、いつの間にかこの二人が『浮雲』の高峰秀子と森雅之のように見え始めるのだから始末が悪い。くっついたり離れたり、平成末期の日本で腐れ縁を続けながら、人生を全うしようとする姿に寄り添ううちに、最後にはスクリーンを食い入るように見ている自分に気づいてしまった。
瀬々敬久(映画監督)

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